俳優としてだけでなく、映画監督としてもマルチな才能を発揮する斎藤工さん。 独特の色気と存在感で多くのファンを魅了していますが、その学歴、特に大学に進学しなかった背景に注目が集まっています。
斎藤工さんは、モデル活動を経て俳優となり、長い下積み期間を乗り越えて現在の地位を確立しました。
彼のキャリアパスは一般的なルートとは異なり、高校卒業後の進路選択がその後の活躍にどう繋がっていったのか、多くの人が関心を寄せています。なぜ彼は大学を選ばず、俳優の道へ進んだのでしょうか?
この記事では、斎藤工さんの出身高校や中学・小学校時代のエピソード、そして大学に進学しなかった理由、芸能界入りのきっかけなどを詳しく掘り下げていきます。
知られざる学生時代や下積み時代の経験が、現在の斎藤工さんを形作る上でどのような影響を与えたのか、その人物像に迫ります。
斎藤工さんの学歴と、そこに隠された彼の信念や原点を探ってみましょう。
斎藤工の学歴まとめ(高卒)
斎藤工さんの最終学歴は高校卒業です。
大学には進学せず、俳優としての道を歩み始めました。
まずは、彼の学歴の概要を見ていきましょう。
出身高校・偏差値・学科情報
◆◆斎藤工さんの出身高校は、日本学園高等学校(にほんがくえんこうとうがっこう)です。
所在地は東京都世田谷区松原で、1885年開校の歴史ある私立男子校です。
斎藤さんが在籍していた当時の偏差値は情報源によって47〜54と幅がありますが、入学しやすいレベルだったようです。
学科は普通科に在籍していました。◆◆
この高校はかつて名門進学校として知られ、多くの著名人を輩出しています。
放送作家の高田文夫さんやタレントの太川陽介さんも同校の卒業生です。
なぜ大学進学を選ばなかったのか?
斎藤工さんは高校卒業後、大学には進学していません。
当初は映画について学べる映画美学校への進学を考えて願書も提出したそうですが、最終的には進学を選びませんでした。
その理由は、映像制作会社に勤めていた父親からの「映画は机の上で学ぶものじゃない。一刻も早く現場に出ろ」というアドバイスでした。
この言葉が、斎藤さんが現場での経験を重視し、俳優としてのキャリアを早くからスタートさせる大きなきっかけとなったようです。
卒業後すぐに芸能界へ?そのきっかけ
●●高校卒業後、斎藤工さんは大学進学の代わりに、俳優としての基礎を学ぶ道を選びます。
東京都渋谷区代々木上原にあった俳優養成所「伊藤正次演劇研究所(現:Ito・M・Studio)」に入所し、本格的に演技の勉強を始めました。
この養成所は樋口可南子さんや宇梶剛士さんなど、多くの実力派俳優を輩出しており、斎藤さんが在籍していた当時は女優の貫地谷しほりさんも学んでいたそうです。●●
▼▼斎藤さんは高校在学中の15歳の頃から、自らモデル事務所を探し「インディゴ」に所属。
「TAKUMI」名義で『MEN’S NON-NO』や『POPEYE』などのファッション雑誌で活躍していました。
俳優を目指す上で、まずモデルからキャリアをスタートさせた形です。▼▼
そして2001年、映画『時の香り〜リメンバー・ミー』のプロデューサーにスカウトされ、20歳で俳優デビューを果たしました。
高校卒業後、すぐに大学ではなく実践的な学びの場を選び、俳優としてのキャリアを着実に歩み始めたのです。
斎藤工の高校時代のエピソード
モデル活動や海外への一人旅など、多感な高校時代を送った斎藤工さん。
当時のエピソードからは、早くから自立し、独自の価値観を築いていた様子がうかがえます。
部活や学校生活での様子
高校時代の斎藤さんは特定の部活動に所属していたという情報は見当たりませんが、学校生活は男子校ならではの雰囲気だったようです。
インタビューでは「エッチなことばかり考えていて、ホットドックプレスを愛読していました」「映画の中のヒロインに恋したりして」と、当時の男子高校生らしい一面を語っています。
◎◎一方で、高校1年生の時に自ら売り込んでモデル事務所に所属し、「TAKUMI」名義で人気モデルとして活躍。
雑誌だけでなく、ファッションショーにも出演するなど、学業と並行してプロのモデルとしてのキャリアをスタートさせていました。◎◎
学内での活動よりも、学外でのモデル活動や、後述する海外での経験が高校時代の彼を形作ったと言えるでしょう。
友人関係・交友関係
高校時代の交友関係について、斎藤さんは後に「同級生とのコミュニケーションをおろそかにしていた。今になってみると同級生の価値ってめちゃくちゃ高いし、同時に見失うものもあったのかなって」と振り返っています。
モデル活動や年上の彼女との交際など、同世代とは少し異なる世界に身を置いていたことが影響していたのかもしれません。
番組「ボクらの時代」では、高校時代に10歳ほど年上の女性と交際していたことを明かしています。
「彼女周りの環境が刺激的で、かっこいいと思い込んで依存していた」とも語っており、大人びた経験が当時の彼に大きな影響を与えていたようです。
学内イベントや思い出
高校時代の特筆すべき思い出として、斎藤さんは海外へのバックパッカー体験を挙げています。
沢木耕太郎さんの小説『深夜特急』に影響を受け、高校の春休みなどを利用してパリや香港へ一人旅に出かけていました。
◎◎旅費を稼ぐために現地のモデルオーディションを受けたり、旅先で荷物をすべて盗まれたり、さらにはマフィアのようなグループに連れ去られ、自分の墓穴を掘らされそうになるという衝撃的な経験もしたそうです。
「ジョークだ!」と言って解放されたものの、この経験から「ある意味、今は余生です」と語るほど、強烈な出来事だったようです。◎◎
また、高校時代から映画への情熱は並々ならぬものがあり、レンタルビデオ店の作品を「あ」行から順番に鑑賞し始め、4年間で約1000本もの映画を観たという逸話も残っています。
斎藤工の中学・小学校などその他の学歴
斎藤工さんの個性的な感性は、どのような幼少期・少年期に育まれたのでしょうか。
シュタイナー教育を受けた小学校時代や、サッカーに打ち込んだ中学校時代を見ていきましょう。
出身中学・子供時代の様子
◆◆斎藤工さんの出身中学校は、東京都世田谷区にある世田谷区立梅丘中学校(せたがやくりつうめがおかちゅうがっこう)です。
公立の共学校で、小学校6年生の時にサッカーの強いこの中学校へ進学するために、地元の公立小学校へ転校した経緯があります。◆◆
◎◎梅丘中学校は伝統的にサッカー部が強く、斎藤さんも中学時代はサッカー部に所属し、部活動に熱中していました。
当時の思い出として、男子生徒が校庭に並ばされてビンタされるような「リアルGTOみたいだった」経験も語っています。◎◎
この頃から映画への興味は深まり、自分でシナリオを書いたり、父親に連れられて映画の撮影現場を見学したりしていたそうです。
意外にも、父親に勧められて観た『仁義なき戦い』シリーズが「今の自分を作っている最大のルーツ」だと語っています。
▼▼梅丘中学校の著名な卒業生には、タレントの滝沢カレンさん、小倉智昭さん、女優の藤田朋子さんなどがいます。▼▼
小学校時代の活動・家庭環境など
◆◆斎藤工さんは、小学校の大部分を私立の共学校である東京シュタイナーシューレ(現・シュタイナー学園初等部)で過ごしました。
この学校は、教科書を使わず、テストによる点数評価もない、子どもの自主性や芸術性を重んじるシュタイナー教育を実践することで知られています。
斎藤さんは系列の幼稚園から通っており、当時は同級生が7人しかいなかったそうです。◆◆
シュタイナー教育について、斎藤さんは「田植えとか家を作るとか、体験を通じて感性を育むという授業でその当時はちょっと嫌でしたけど、今思うと素晴らしい学校だと思います」と振り返っています。
小学校6年生の3学期に、サッカーの強い公立中学校への進学を見据えて世田谷区立山崎小学校(せたがやくりつやまざきしょうがっこう)に転校。
シュタイナー教育との違いに驚いたそうで、「点数をつけられてランキングで評価されることも今までなかったこと。単純にクラスの人数が多いということだけでも大きな変化でした」と語っています。
■■家族構成は、父、母、2歳年上の姉の4人家族です。
父親は映像制作・配給会社の東北新社に勤務(後に退職しレストラン経営、現在は大分でカフェ経営)しており、その影響で幼い頃から映画館に頻繁に通う映画好きに育ちました。
週に2〜3回も映画館へ連れて行ってもらったそうです。■■
小学校時代はサッカーのほか、柔道や合気道も習っていました。
また、小学4年生の時には姉と共にイギリスのサマースクールに参加し、「世界でいろいろな体験をしたい」と感じたことが、後の海外放浪につながったようです。
学歴から見える斎藤工の人物像とは?
斎藤工さんの学歴は、一般的な大学進学ルートとは異なりますが、その選択と経験が彼の個性とキャリアを形作ってきました。
彼の歩みから、どのような人物像が見えてくるでしょうか。
進学せず挑戦する行動力/才能重視の生き方
斎藤工さんは、大学進学という選択肢もあった中で、父親のアドバイスを受け入れ、早期にプロの世界に飛び込むことを決断しました。
高校時代から自らモデル事務所に売り込み、バックパッカーとして海外に飛び出すなど、早くから強い行動力と自立心を持っていたことがうかがえます。
学歴よりも現場での経験や実践を重視する姿勢は、その後の俳優・監督としてのキャリアにも一貫して表れています。
机上の空論ではなく、実際に体験し、感じることを大切にする生き方を選んだと言えるでしょう。
学歴にとらわれないキャリア観の考察
●●2014年のドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』で大ブレイクを果たすまで、斎藤工さんには10年以上の下積み時代がありました。
俳優デビュー後もなかなか役がつかず、29歳頃まで新聞配達のアルバイトを続けていたという事実は、彼の粘り強さとハングリー精神を物語っています。
「何が起こるかわからない」と、ブレイク後も新聞店に籍を置いていたというエピソードからは、堅実な一面も垣間見えます。●●
大学に進学しなかったことが、彼にとって回り道になったわけではなく、むしろ多様な経験を積む機会となり、それが俳優としての深みや、映画監督としての独自の視点につながっているのかもしれません。
学歴という物差しだけでは測れない、彼の才能と努力、そして人間的な魅力が、多くの人を惹きつけている理由でしょう。
▼▼斎藤工さんは俳優業の傍ら、齊藤工名義で映画監督としても活躍。
初長編監督作『blank13』は上海国際映画祭で最優秀監督賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を得ています。▼▼
▼▼また、映画館のない地域に映画を届ける移動映画館プロジェクト「cinema bird」を立ち上げるなど、映画文化への貢献活動にも力を入れています。
これらの活動からも、彼の映画に対する深い愛情と、社会貢献への意識の高さがうかがえます。▼▼
まとめ
今回は、俳優・斎藤工さんの学歴と経歴、学生時代のエピソードについて詳しくご紹介しました。
- 最終学歴: 日本学園高等学校 卒業
- 大学: 進学せず(父親の助言で現場主義を選択)
- 高校: 日本学園高等学校(モデル活動や海外バックパッカーを経験)
- 中学校: 世田谷区立梅丘中学校(サッカー部に所属)
- 小学校: 東京シュタイナーシューレ → 世田谷区立山崎小学校
シュタイナー教育から公立校へ、そして高校卒業後は大学ではなく俳優養成所へ。
モデル活動、海外での衝撃的な体験、長い下積み時代など、彼の経歴は非常にユニークです。
学歴にとらわれず、自らの意志と行動力で道を切り拓いてきた斎藤工さん。
その経験が、現在の彼の魅力と多岐にわたる活躍の礎となっているのでしょう。
▼▼斎藤工さんの初期の監督作品や、ブレイクのきっかけとなった作品に触れてみませんか?
彼の多才な魅力が詰まった作品です。▼▼
▼▼社会現象にもなった大ヒットドラマ。斎藤工さんの名を一躍有名にしました。▼▼
▼▼最新の主演映画。彼の新たな一面が見られるかもしれません。▼▼
俳優、映画監督、クリエイターとして、今後も斎藤工さんの活躍から目が離せません。
俳優プロフィール
- 氏名(日本語表記+原語): 斎藤 工 (さいとう たくみ) / Saito Takumi
- 発音ガイド: さいとう たくみ
- 最終学歴: 日本学園高等学校 卒業
- 出身高校: 日本学園高等学校
- 芸能界入りのきっかけ: 高校在学中に自らモデル事務所に所属し活動を開始、卒業後は俳優養成所を経て2001年に俳優デビュー。
- 俳優の紹介: 斎藤工は1981年生まれ、東京都出身の俳優、映画監督、クリエイターです。日本学園高校を卒業後、大学には進学せず、父親の「現場に出ろ」という助言に従い、俳優養成所「伊藤正次演劇研究所」で演技を学びました。高校時代から「TAKUMI」名義でファッションモデルとして活躍し、2001年に俳優デビュー。長い下積み期間を経て、2014年のフジテレビ系ドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』の北野裕一郎役で色気のあるキャラクターが大きな話題となり、大ブレイクを果たしました。以降、『医師たちの恋愛事情』『臨床犯罪学者 火村英生の推理』『シン・ウルトラマン』など数多くの映画やドラマで主演・重要な役を務めています。また、本名の「齊藤工」名義で映画監督としても活動し、初長編監督作『blank13』(2018年)は国内外で高い評価を受け、上海国際映画祭アジア新人賞部門最優秀監督賞などを受賞。移動映画館プロジェクト「cinema bird」を主宰するなど、映画文化への貢献にも尽力しています。セクシーなイメージだけでなく、コミカルな役からシリアスな役までこなす演技力と、クリエイティブな才能を併せ持つ、日本を代表する俳優の一人です。















