人気俳優・伊藤英明さん。映画『海猿』シリーズなどで見せるたくましい姿が印象的ですが、その学歴や経歴、特に大学に進学しなかった理由について知りたい方も多いのではないでしょうか。壮絶な過去を乗り越え、現在の地位を築いた伊藤さんの学生時代に迫ります。
伊藤 英明さんといえば、数々の映画やドラマで主演を務める、日本を代表する実力派俳優です。
その活躍は誰もが知るところですが、彼の学歴、特に最終学歴が高校卒業であることや、その背景にあるエピソードはあまり知られていないかもしれません。
実は壮絶な幼少期を乗り越え、大学進学を選ばずに俳優の道へ進んだ過去があることをご存知でしょうか?
この記事では、伊藤英明さんの出身高校や中学・小学校時代の驚きのエピソード、そして大学に進学しなかった理由、芸能界入りのきっかけなどを詳しく掘り下げていきます。
学歴という側面から、伊藤英明さんの知られざる魅力や人物像に迫ってみましょう。
なぜ彼は大学へ行かず、俳優の道を選んだのでしょうか?
伊藤英明の学歴まとめ(高卒)
まずは伊藤英明さんの学歴をまとめました。
大学には進学せず、高校卒業後に芸能界の道へ進んでいます。
出身高校・偏差値・学科情報
伊藤英明さんの出身高校と学科、偏差値は以下の通りです。
◆◆岐阜県立岐南工業高等学校(Gifu Prefectural Ginan Technical High School)電気科(現在は電気工学科)です。◆◆
この高校は岐阜県岐阜市にある県立の工業高校で、複数の学科があります。
伊藤さんが在籍していた電気科を含め、多くの学科の偏差値は44程度とされています。
工業高校ということもあり、専門的な知識や技術を学ぶ環境だったようです。
伊藤さんは1991年4月にこの高校へ入学し、1994年3月に卒業しています。
多感な高校時代を、この岐南工業高校で過ごしました。
高校の概要(所在地・設立年・特色・著名卒業生)
伊藤さんの母校、岐南工業高校についてもう少し詳しく見てみましょう。
◆◆所在地は「〒500-8389 岐阜県岐阜市本荘3456−19」で、JR東海道本線の西岐阜駅が最寄り駅です。1943年開校と、長い歴史を持つ学校です。◆◆
特色としては、工業系の専門学科が充実している点や、部活動が非常に盛んであることが挙げられます。
特にバレーボール部や自転車競技部などは、全国大会への出場経験もある強豪として知られています。
◆◆著名な卒業生としては、ミュージシャンの田口達也さん(元Non Stop Rabbit)などがいます。◆◆
なぜ大学進学を選ばなかったのか?
伊藤英明さんは高校卒業後、大学には進学していません。
その理由として明確に語られているわけではありませんが、高校在学中に芸能界入りのきっかけを掴んだことが大きいと考えられます。
高校3年生の時に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞し、卒業後はモデルとして活動するために上京しています。
俳優やモデルとしての道が具体的に見えていたため、大学進学という選択肢は当初から優先度が高くなかったのかもしれません。
また、後述するように、必ずしも学業に強い関心があったわけではない、という自身の発言もあります。
自分の進むべき道を見つけ、そちらへ進むことを決断したのでしょう。
卒業後すぐに芸能界へ?そのきっかけ
高校卒業が近づくにつれ、同級生が進学や就職を決めていく中でも、伊藤さんは焦りを感じていなかったようです。
そして、彼の人生の転機となる出来事が訪れます。
●●高校3年生だった1993年に、友人の姉の勧めもあって応募した第6回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞したことが、芸能界入りの大きなきっかけとなりました。●●
ちなみにこの時のグランプリは俳優の柏原崇さん、審査員特別賞はタレントの加藤晴彦さんでした。
コンテスト受賞後、スカウトされて高校卒業と同時に上京。
「阿部純大」という芸名でファッションモデルとして活動を開始しますが、事務所の方針と合わず、社長と喧嘩して殴ってしまったという理由でわずか3ヶ月で退所。
その後約2年間は、とび職や解体現場などの肉体労働のアルバイトをして過ごします。
▼▼一度は芸能界から離れた伊藤さんですが、22歳だった1997年に別の事務所のスタッフから声をかけられ、本名の「伊藤英明」で俳優として活動を再開することになります。▼▼
高校時代のエピソード
大学進学を選ばず、芸能界への道を歩み始めた伊藤さん。
その原点ともいえる高校時代は、どのような生徒だったのでしょうか。
部活や学校生活での様子
インタビューによると、高校時代はあまり勉強熱心ではなく、「大人を出し抜くことばかり考えていた」と語っています。
工業高校の電気科に進みましたが、授業内容に意味を見いだせず、中退を考えた時期もあったそうです。
◎◎そんな伊藤さんですが、部活動には打ち込んでいたようです。身長も高校時代に大きく伸びたとのこと。具体的な部活動については、ラグビー部やバスケットボール部といった情報が見られますが、いずれにせよ活発な高校生だったことがうかがえます。◎◎
中退を思いとどまらせたのは、当時の担任の先生でした。
「電気が嫌いだってわかっただけでもよかったじゃないか。両親が望んでいるのだから、頑張って卒業しろ」という言葉に心を動かされ、無事に卒業できたと語っています。
この先生のことを「一番いい先生だった」と振り返っており、恩師との出会いも高校時代の大きな出来事だったようです。
友人関係・交友関係
高校時代の具体的な友人関係については、詳細な情報は多くありません。
しかし、ジュノンボーイコンテストに応募するきっかけが「友人の姉の勧め」であったことから、交友関係はあったと考えられます。
やんちゃな一面もあったようですが、後のインタビューで語られる恩師との関係などを見ると、人間関係を大切にする一面も持っていたのかもしれません。
コンテストで準グランプリを受賞するほどのルックスですから、学校内でも目立つ存在だったことは間違いないでしょう。
学内イベントや思い出
高校時代の恋愛に関するエピソードもいくつか語られています。
当時、年上の彼女がいたそうですが、自転車に乗っている時に彼女が他の男性と一緒にいるところを目撃し、ショックでそのまま田んぼに落ちてしまった、という少しコミカルな思い出もあるようです。
また、そのルックスからか、1学年下の男子生徒からラブレターをもらった経験もあると明かしています。
モテモテだったであろう高校生活が垣間見えるエピソードです。
中学・小学校などその他の学歴
伊藤さんの人格形成に大きな影響を与えたであろう、中学・小学校時代についても見ていきましょう。
特に小学校時代は、壮絶な経験をされています。
出身中学・子供時代の様子
伊藤さんの出身中学校はこちらです。
◆◆出身中学校は、岐阜市立岐阜西中学校です。◆◆
小学校時代は病気のために入退院を繰り返し、学校生活を十分に送れませんでしたが、中学校に入る頃には健康を取り戻し、普通の学校生活を送れるようになっていました。
◎◎体を動かすこともできるようになったため、バスケットボール部に所属していたという情報もあります。友人との交流も増え、比較的楽しい中学校生活を送っていたようです。◎◎
この頃、女優の宮沢りえさんの大ファンになったそうです。
彼女に会いたい一心で、映画『僕らの七日間戦争2』のオーディションに応募。書類審査通過の連絡が自宅に来たものの、親に反対されて断念した、という甘酸っぱいエピソードも残っています。
宮沢さんがヘアヌード写真集を出した際には、ショックで3日間学校を休んだほど熱狂的なファンだったようです。
◆◆この中学校の著名な卒業生には、競泳選手の今井月さんなどがいます。◆◆
小学校時代の活動・家庭環境など
伊藤さんの出身小学校と家族構成です。
◆◆出身小学校は、Wikipediaによると岐阜市立西郷小学校とされています。(※一部メディアでは岐阜市立七郷小学校との情報もありますが、ここではWikipediaを優先します)◆◆
■■家族構成は、元自衛官のお父様、元バスガイドのお母様、そして1歳年下の妹さんの4人家族です。生まれは長崎県佐世保市ですが、育ったのは岐阜県岐阜市です。■■
伊藤さんの幼少期は、病気との闘いの日々でした。
幼稚園の頃に慢性腎炎と診断され、小学校時代は入退院を繰り返す生活を送っていました。
6年間のうち、実際に学校に通えたのは通算で3年ほど。運動会も1回しか参加できず、林間学校にも行けなかったため、クラスに馴染むのも難しかったようです。
腎臓病のため塩分制限が厳しく、給食もお湯で薄めて食べていたといいます。
当時は身体障害者手帳も持っており、両親は「死」をも覚悟していたほど深刻な状態でした。
入院先の病院で友達になった子が亡くなるという辛い経験もしています。
▼▼しかし、小学校6年生の時に扁桃腺の摘出手術を受けたところ、腎炎が奇跡的に完治。無事に障害者手帳も返納し、健康を取り戻すことができました。▼▼
この幼少期の経験が、伊藤さんの「生かされていることへの感謝」や「後悔しないように挑戦する」という人生観につながっているのかもしれません。
学歴から見える伊藤英明の人物像とは?
伊藤英明さんの学歴を辿ると、彼の持つ行動力や独自の価値観が見えてきます。
決して平坦ではなかった道のりが、今の彼を形作っているようです。
進学せず挑戦する行動力/才能重視の生き方
高校卒業後、大学進学という一般的なルートを選ばず、若くして芸能界という厳しい世界に飛び込んだ行動力は注目に値します。
ジュノンボーイコンテスト準グランプリというチャンスを掴み、自らの可能性を信じて上京した決断は、彼の挑戦心を表しています。
一度は事務所との衝突で挫折を経験するものの、アルバイト生活を経て再び俳優として再起を果たした点にも、強い意志と精神力がうかがえます。
学歴よりも、自らの才能と努力で道を切り開いていくタイプと言えるでしょう。
学歴にとらわれないキャリア観の考察
工業高校卒業という学歴は、一般的な俳優のイメージとは少し異なるかもしれません。
しかし伊藤さんは、学歴コンプレックスを感じさせることなく、俳優としての実力で確固たる地位を築き上げました。
これは、彼自身が学歴よりも現場での経験やパフォーマンス、そして人間的な魅力を重視する姿勢を持っていることの表れではないでしょうか。
幼少期の闘病経験や、一度芸能界を離れた経験などが、彼の演技に深みを与え、学歴だけでは測れない魅力を生み出しているのかもしれません。
まとめ
今回は、俳優・伊藤英明さんの学歴について詳しく見てきました。
- 最終学歴:岐阜県立岐南工業高等学校 電気工学科卒業(偏差値44)
- 大学:進学せず
- 中学校:岐阜市立岐阜西中学校
- 小学校:岐阜市立西郷小学校(※諸説あり)
- 幼少期:慢性腎炎で長期の闘病生活を経験
- 芸能界入り:高校3年時のジュノン・スーパーボーイ・コンテスト準グランプリ受賞がきっかけ
幼少期の壮絶な病との闘いを乗り越え、高校卒業後は大学に進学せず芸能界へ。
一度は挫折も経験しましたが、俳優として見事に復活を遂げました。
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●●映画『海猿』シリーズでの大ブレイクや、『悪の教典』などでの新境地開拓を経て、今や日本を代表する実力派俳優としての地位を確立しています。●●
学歴にとらわれず、自らの力で道を切り開いてきた伊藤英明さん。
その背景には、人並外れた経験と強い意志がありました。
今後のさらなる活躍からも目が離せません。
俳優プロフィール
- 氏名:伊藤 英明 (いとう ひであき / ITO Hideaki)
- 発音ガイド:いとう ひであき
- 最終学歴:岐阜県立岐南工業高等学校 電気工学科 卒業
- 出身高校:岐阜県立岐南工業高等学校
- 芸能界入りのきっかけ:1993年に第6回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞したこと。
- 俳優の紹介:
1975年8月3日生まれ、岐阜県岐阜市出身(出生は長崎県佐世保市)の俳優。個人事務所・ID4マネージメント所属。
幼少期に慢性腎炎を患い、小学校時代の大半を入院生活で過ごすという壮絶な過去を持つ。病を克服後、中学・高校時代は比較的普通の学生生活を送る。
高校3年生の時にジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞し、卒業後に上京してモデルデビュー。しかし、事務所との衝突から一時活動を休止し、約2年間のアルバイト生活を送る。
1997年に俳優として活動を再開。2000年のドラマ『YASHA-夜叉-』で初主演を果たす。その後、『救命病棟24時』『白い巨塔』などの話題作に出演。
2004年の映画『海猿 ウミザル』で主演・仙崎大輔役を務め、シリーズ化される大ヒットとなり、国民的な人気俳優となる。以降も映画『悪の教典』でのサイコパス役、『WOOD JOB!』での林業家役など、役柄の幅を広げ、演技派としての評価も確立。近年では大河ドラマ『麒麟がくる』への出演も話題となった。私生活では2014年に結婚し、二児の父でもある。
















