高橋英樹の学歴|日大中退の真相は?偏差値70の市川高校から俳優へ!父との知られざる秘話

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「数えきれぬ~♪」の決め台詞でお馴染み、時代劇『桃太郎侍』をはじめ、『遠山の金さん』『三匹が斬る!』などで長年お茶の間を楽しませてきた俳優の高橋英樹さん。近年はバラエティ番組での活躍や、娘でフリーアナウンサーの高橋真麻さんとの親子共演でも注目を集めていますね。

そんな高橋英樹さんですが、実は名門・市川高校から日本大学芸術学部に進学したものの、中退しているという経歴の持ち主。しかも、芸能界入りのきっかけは、俳優になることに猛反対していたはずのお父様が関係しているという、少し意外なエピソードがあるんです。

この記事では、高橋英樹さんの出身小学校から中学校、そして偏差値70とも言われる市川高校、日本大学芸術学部(中退)までの学歴を詳しくご紹介します。厳格だったお父様との関係や、俳優デビュー秘話、学生時代のエピソードなどを紐解きながら、高橋英樹さんがどのような道を歩んできたのか、一緒に見ていきましょう。

高橋英樹の学歴まとめ

まずは、高橋英樹さんの学歴を一覧で確認しましょう。小学校から大学(中退)までの経歴と、それぞれの時代の出来事を詳しく見ていきます。

出身大学・学部(日本大学 芸術学部演劇学科 ※中退)

高橋英樹さんは、高校卒業後の1962年に日本大学 芸術学部 演劇学科へ進学しました。芸術学部は俳優やクリエイターを多く輩出していることで有名ですね。当時の偏差値は不明ですが、現在の偏差値は50前後とされています(※偏差値は変動する可能性があります)。

高橋さんはこの学部で演技の基礎を学ぶことになりますが、すでに高校時代に芸能界入りしていたため、大学生活と俳優業を両立させる日々を送っていました。

大学時代のエピソード(在学中の映画主演抜擢、多忙な俳優活動)

大学入学時点で、すでに日活ニューフェースとして活動を開始していた高橋英樹さん。大学1年生だった1962年には、早くも大きなチャンスが訪れます。

Wikipediaによると、当初主演予定だった石原裕次郎さんの負傷、さらに代役俳優の事故死という偶然が重なり、映画『激流に生きる男』の主演に抜擢されたのです。デビューからわずか2作目での主演抜擢は異例のことで、高橋さんは大部屋俳優を経験することなくスターへの道を歩み始めました。

この抜擢により、高橋さんは日活の次代を担うスターとして大きな期待を集め、俳優としての活動がますます多忙になっていきました。

大学中退を決意した理由と俳優としての飛躍

学業と俳優業の両立を目指していた高橋英樹さんですが、主演抜擢後は映画の仕事が急増。学業を続けることが困難になったため、1963年に日本大学を中退しています。

中退した1963年には、吉永小百合さんの相手役を務めた『伊豆の踊子』や、自身の代表シリーズとなる任侠映画『男の紋章』が公開され、トップスターとしての地位を確立しました。

大学中退という決断は、俳優業に専念し、さらに飛躍するための大きな転機となったと言えるでしょう。

高橋英樹の高校時代

続いて、高橋英樹さんの高校時代について見ていきましょう。俳優を目指すきっかけや、デビューの背景には、高校時代の経験が大きく関わっています。

高校名・偏差値(市川高校・偏差値70)

高橋英樹さんの出身高校は、千葉県にある私立の市川高校です。

市川高校は、現在では偏差値70を超えることもある、千葉県内でも有数の進学校として知られています。高橋さんが在籍していた当時の偏差値は定かではありませんが、当時からレベルの高い学校であったようです。男女共学になったのは後のことで、高橋さんの在学時は男子校でした。

高校での活動・思い出(映画部設立、風紀委員、俳優への強い憧れ、父との対立と和解)

高校時代の高橋英樹さんは、俳優になることを強く夢見ていました。その情熱から、自ら映画部を設立したほどです。インタビューなどによると、当時はお昼代やバス代を節約して、週に何本も映画館に通っていたと語っています。

一方で、学校では風紀委員を務めていたという一面も。硬派を気取っていたため、もらったラブレターは読まずに捨てていた、というエピソードも明かされています(出典:過去のインタビュー記事より)。

俳優志望のきっかけの一つには、高校の校長も務めた厳格な父親への反発心もあったようです。高校2年生の時に書いた「俳優になりたい」という作文をきっかけに、父親から猛反対を受け、「芸能界に入るなら勘当だ」とまで言われたといいます。

しかし、意外なことに、日活ニューフェースのオーディションは、その父親が内緒で応募したものだったのです。「オーディションに落ちれば諦めるだろう」と考えた父親の親心でしたが、高橋さんは見事合格。高校3年生の時に、同期の中尾彬さんらと共に、日活ニューフェース第5期生として芸能界入りを果たしました。

合格後、父親とは半ば勘当状態だったそうですが、後に母親から、父親が内緒で出演映画を全て観に行っていたことを聞かされたと、インタビューで語っています。残念ながら、父親とは和解する前に死別してしまったそうですが、高橋さんは「今は父の気持ちがわかる」「やるべきことをきちんとしないと気が済まない点は父にそっくり」とも話しており、父親への複雑な想いを抱えていたことがうかがえます(出典:Wikipedia、過去のインタビュー記事より)。

中学・小学校などその他の学歴

高橋英樹さんの義務教育時代はどのような少年だったのでしょうか。中学・小学校時代のエピソードを見ていきましょう。

出身中学校と当時のエピソード(千葉市立緑町中学校、運動制限の過去)

高橋英樹さんの出身中学校は、千葉市立緑町中学校です。

公立の中学校で、特別なエピソードは多く語られていませんが、部活動には所属せず、帰宅部だったようです。

一部の情報サイトでは、中学時代にツベルクリン反応で陽性が出て、3年間運動ができなかったという情報もありますが、Wikipediaなど公式に近い情報源では確認できませんでした。

小学校時代の性格・家庭環境など(千葉市立検見川小学校、厳格な教育方針の家庭、転校経験)

出身小学校は、千葉市立検見川(けみがわ)小学校です。

父親は高校の校長、母親も教師という教育一家で育ちました。父親は非常に厳格で、「成績が1番でないと竹刀で叩かれる」ほどだったと、過去のインタビューで語られています。その反動で、勉強は嫌いではなかったものの、親に反発してあまりしなかった時期もあったようです。

父親の転勤に伴い、幼少期は千葉県内を転々とし、成田市や船橋市などで過ごし、小学校も複数経験しています。検見川小学校が最終的な卒業校となります。

子供の頃から時代劇が好きで、チャンバラごっこで遊ぶ活発な少年だったそうです。

学歴から見える高橋英樹の人物像とは?

高橋英樹さんの学歴を振り返ると、彼の持つ強い意志や行動力が見えてきます。学歴と俳優人生の関係性から、その人物像に迫ってみましょう。

反骨精神と夢を追う強い意志

厳格な父親への反発心が、俳優という夢を追いかける原動力の一つになったことは、高橋さん自身も語っています。父親に反対されても諦めず、学業よりも夢を選んだ大学中退という決断からも、その強い意志がうかがえます。

節約して映画を観に通った高校時代のエピソードからは、好きなことに対する情熱と行動力が伝わってきますね。

学歴に捉われず、実力で道を切り開いた俳優人生

市川高校という進学校から日本大学へ進んだものの、最終的には学歴よりも俳優としての実力で道を切り開いてきました。大学中退後すぐにトップスターとなり、その後も長きにわたり第一線で活躍し続けている姿は、「学歴が全てではない」ことを体現していると言えるでしょう。

父親が内緒でオーディションに応募したというエピソードも、運命的でありながら、高橋さん自身の持つスター性や才能があってこその結果です。学歴という枠にとらわれず、自らの力で道を切り開いてきた俳優だと言えますね。

まとめ

今回は、俳優・高橋英樹さんの学歴について、小学校から大学(中退)まで詳しくご紹介しました。

  • 小学校: 千葉市立検見川小学校(転校経験あり)
  • 中学校: 千葉市立緑町中学校
  • 高校: 市川高校(偏差値70・当時)
  • 大学: 日本大学 芸術学部 演劇学科(中退)

厳格な父親への反発心から俳優を目指し、父が内緒で応募したオーディションに合格して芸能界入り。大学は中退したものの、すぐにスター俳優として頭角を現し、時代劇を中心に数々の代表作を生み出してきました。

学歴だけでは語れない、強い意志と行動力、そして周囲を惹きつける魅力が高橋英樹さんの俳優人生を支えてきたのではないでしょうか。これからも、そのダンディな魅力で私たちを楽しませてくれることを期待しています。

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