今回は、唯一無二の存在感で数々の作品を彩る名優・相島一之さんについて、わたくし佐藤まことが、そのユニークな学歴と経歴の物語を深掘りしてまいります。
三谷幸喜作品の常連として知られる相島さんですが、その原点が2浪の末に入学し、8年かけて卒業したという立教大学法学部での日々にあったことはご存じでしょうか。当初は弁護士、そして小説家を目指していたという彼が、なぜ演劇の道へ進むことになったのか。
この記事では、埼玉県屈指の進学校・熊谷高校時代の哲学的な悩みから、大学での挫折と偶然の出会い、そして三谷幸喜さんとの運命的な巡り合わせまで、相島さんの俳優人生の礎となった知られざる学生時代を丁寧に紐解いていきます。遠回りに見えた道が、いかにして彼の天職へと繋がっていったのか、その fascinating な物語をご覧ください。
相島一之のプロフィール|最新出演作は2025年「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で松平康福役!
まずは、日本を代表する名バイプレイヤー、相島一之さんの基本的なプロフィールからご紹介します。
その長いキャリアと、今なお精力的な活動ぶりがうかがえます。
基本情報
- 生年月日: 1961年11月30日(現在63歳)
- 出身地: 埼玉県熊谷市
- 身長: 176cm
- 所属事務所: シス・カンパニー
- 特技: 剣道2段
相島さんのキャリアの核となっているのが、脚本家・三谷幸喜さんとの出会いです。1987年に三谷さんが主宰する「東京サンシャインボーイズ」に入団し、1994年の解散まで全作品に出演。まさに劇団の黄金期を支えた中心メンバーの一人でした。
その後も三谷作品には欠かせない存在として活躍し、テレビドラマや映画でもその確かな演技力で引く手あまたの状態が続いています。2025年にはNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』への出演や、東京サンシャインボーイズの復活公演も控えており、その活躍からますます目が離せません。
相島一之の学歴まとめ|出身小学校から大学は立教大学法学部まで!
それでは、相島さんの個性的な人柄を育んだ学生時代を、小学校から順に見ていきましょう。
優等生だった少年が、演劇の世界に目覚めるまでの軌跡がここにあります。
出身小学校:熊谷市立熊谷東小学校でチャップリンコント少年
相島さんの出身小学校は、地元の熊谷市立熊谷東小学校です。
意外なことに、当時からチャップリンが大好きで、クラスメイトとコンビを組んでコントを披露するなど、人を楽しませることが好きな少年だったようです。現在のコミカルな演技の片鱗が、この頃からすでに見えていたのかもしれませんね。
出身中学校:熊谷市立富士見中学校(詳細エピソード不明)
中学校は、熊谷市立富士見中学校に進学しました。
この頃の詳しいエピソードはあまり伝わっていませんが、多感な思春期を故郷・熊谷で過ごしたようです。
出身高校:埼玉県立熊谷高校は進学校!剣道部で哲学的な悩みを抱えた青春
高校は、県内でも有数の進学校である埼玉県立熊谷高等学校に進学します。
剣道部に所属する一方で、「人は何のために生れてきたのか」といった哲学的な悩みを抱える、思慮深い高校生だったといいます。
この頃、漠然と「小説家になりたい」という夢を抱き、そのためにまず社会を知ろうと弁護士を目指し、大学の法学部受験を決意したそうです。大学に入るまでは、真面目な優等生だったのですね。
出身大学:立教大学法学部で弁護士から小説家を目指すも8年かけて卒業
高校卒業後、2年間の浪人生活を経て、立教大学法学部法学科に入学します。
しかし、当初の目的だった司法試験の勉強には早々に見切りをつけ、きらびやかな大学の雰囲気にも馴染めず、五月病になってしまったそうです。結果的に、大学は8年かけて卒業することになります。この回り道こそが、彼の人生にとって最も重要な時間となりました。
相島一之が俳優を目指したきっかけは立教大学で同級生に誘われたアングラ演劇との出会い
相島さんの人生が大きく動いたのは、立教大学1年生の時でした。
大学の授業にほとんど行かず無気力な日々を過ごしていた頃、同じく授業を休みがちだった同級生の大城くんに誘われ、初めて演劇を観劇します。それが、60年代から70年代のアングラ演劇に影響を受けたような作品で、相島さんはその世界に面白さを感じたのです。
その後、男優が足りないからと誘われるがままに演劇サークル「劇団テアトルジュンヌ」に参加。これが、彼の俳優人生の本当の始まりでした。もし、この友人との出会いがなければ、今の相島さんはなかったかもしれません。まさに運命的な出会いだったと、わたくしは思います。
相島一之の学生時代のエピソード|2浪8年の大学生活で司法試験挫折から演劇脚本まで幅広く経験
2浪して入学し、8年かけて卒業した大学生活。それは、相島さんにとって挫折と模索、そして新たな発見に満ちた時間でした。
弁護士になる夢は早々に諦めましたが、演劇の世界にのめり込み、1984年の公演では自ら脚本も担当しています。書くことへの夢を、演劇という形で昇華させていたのですね。
毎日新聞社で雑用係のアルバイトをしたり、髭を蓄えた老け顔で過ごしたりと、一般的な大学生とは少し違う、ユニークで味わい深い青春時代を送っていたことがうかがえます。
相島一之の演技力の原点|劇団テアトルジュンヌと三谷幸喜の東京サンシャインボーイズで演劇の基礎を築く
相島さんの演技力の礎が築かれたのは、間違いなく2つの劇団での経験です。
一つは、大学時代に所属した「劇団テアトルジュンヌ」。ここで演劇の面白さと難しさを肌で感じました。
そしてもう一つが、彼のキャリアを決定づけた三谷幸喜さん主宰の「東京サンシャインボーイズ」です。1987年に入団してから1994年の解散まで、すべての作品に出演した経験は、彼にとって最高の学びの場であり、かけがえのない財産となったことでしょう。三谷さんの描く緻密な人間ドラマを体現し続けた日々が、現在の彼の演技の血肉となっているのです。
相島一之の学歴は俳優業にどう活かされている?法学部での学びと哲学的思考が三谷作品理解の深さに直結
弁護士にならなかったからといって、立教大学法学部での8年間が無駄だったわけでは決してありません。
法学部で培われた論理的思考力や、複雑な文章を読み解く力は、三谷幸喜さんのような緻密な脚本を理解し、その面白さを最大限に引き出す上で大いに役立っているはずです。実際に相島さんは、三谷さんの脚本の面白さに衝撃を受け、物書きになる夢をすっぱり諦めたと語っています。
また、高校時代からの「人は何のために生きるのか」という哲学的思考は、役柄の深層心理を掘り下げる俳優という仕事に、まさに直結しています。後にがんを患った経験から「目の前にいる人を喜ばせることが僕は好きなんだ」と表現者としての自覚を再確認したという言葉に、彼の人生のすべての経験が演技に昇華されているのだと、わたくしは深く感動しました。
まとめ
今回は、名優・相島一之さんの学歴と、そのユニークなキャリアの原点を探りました。
進学校から2浪を経て立教大学法学部へ進むも、思い描いた道とは違う演劇の世界へ。一見、遠回りのように見える彼の学生時代ですが、そこでの挫折や出会い、悩み抜いた時間こそが、人間味あふれる俳優・相島一之を形作ったのだとわかります。
わたくし佐藤まこととしましては、相島さんの人生は「点と点が線になる」ことの見事な証明だと感じます。法学部での学びが三谷作品への深い理解につながり、哲学的な悩みが役への探求心となる。彼の物語は、どんな経験も無駄にはならず、いつか必ず自分の道を照らす光になるのだと、私たちに勇気を与えてくれます。


