この記事では、俳優・大東駿介さんの学歴(高校・中学)や、大学に進学しなかった理由、壮絶な生い立ちを含む学生時代のエピソード、芸能界デビューのきっかけなどを詳しくご紹介します。
大東駿介さんは、ドラマ『クローズZERO』シリーズや朝ドラ『ウェルかめ』、『新・ミナミの帝王』シリーズなどで知られる実力派俳優です。 近年も『らんまん』や『大奥 Season2』など話題作への出演が続いていますね。
そんな大東さんですが、実は壮絶な過去を乗り越えて俳優になった経緯があり、その学歴や学生時代のエピソードに注目が集まっています。
この記事では、大東さんの出身高校や中学時代の情報、大学に進学しなかった理由、そして人見知りを克服し芸能界デビューを果たした背景などを、インタビューや番組での発言を交えながら掘り下げていきます。
彼の俳優としての魅力の源泉には、どのような学生時代があったのでしょうか?一緒に見ていきましょう。
大東駿介の学歴まとめ(高卒)
まずは、大東駿介さんの学歴を一覧で確認してみましょう。
出身高校・偏差値・学科情報
◇◆大東駿介さんの出身高校は、大阪府立堺工業高等学校(現:大阪府立堺工科高等学校)です。◇◆
この高校は1936年開校の府立工業高校で、2005年に堺工科高校に改編されました。偏差値は情報源によると39(かなり容易)とされています。
大東さんが在籍当時は共学でしたが、女子生徒は少なく実質的には男子校のような雰囲気だったようです。学科に関する具体的な情報は公表されていません。
なぜ大学進学を選ばなかったのか?
大東さんは高校卒業後、大学へは進学していません。
高校時代から俳優に憧れを抱いていた大東さん。高校3年生の進路相談の際には、「役者になりたい」「やりたいことをやれない人生は嫌だ」と考え、俳優を目指して上京することを決意したと語っています。
△▼当時、担任の先生に「行って来ればいい!」と背中を押してもらったことも、大きな力になったようです。△▼
複雑な家庭環境で育ち、早く自立したいという思いも、大学進学を選ばなかった理由の一つかもしれません。
卒業後すぐに芸能界へ?そのきっかけ
高校卒業後、宣言通り大阪から上京。東京に住んでいた従兄弟の家に居候しながら、アルバイト生活を送りました。
〇●そして、上京から約2年後の2005年、19歳の時にPIZZA-LA Presents・トップコート杯「Try to Top 2005」というオーディションでグランプリ・ミコット・エンド・バサラ賞・FINE BOYS賞を受賞。これがきっかけで芸能界入りを果たします。〇●
同年にはファッション誌『FINEBOYS』の専属モデルとしてデビューし、さらに日本テレビ系ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で俳優デビューも飾りました。
高校時代のエピソード
芸能界への道を切り開いた高校時代は、どのような学生生活を送っていたのでしょうか?
部活や学校生活での様子
中学時代は陸上部でしたが、高校では特定の部活動には所属せず、いわゆる「帰宅部」だったそうです。
◎◆その代わりに、高校時代はバンド活動に熱中し、キーボードを担当していました。また、映画が好きで、友人たちと多くの映画を観たり、パロディや即興劇をビデオで撮影したりしていたようです。◎◆
◎◆意外にも、当時は極度の人見知りで、知らない人に対しては対人恐怖症のような状態だったと明かしています。目が悪かったにも関わらず、あえて眼鏡やコンタクトをつけずに生活していた時期もあったそうです。◎◆
友人関係・交友関係
高校時代の友人関係について具体的なエピソードは多く語られていませんが、一緒にバンドを組んだり、映画を観たりする仲間がいたことが分かっています。
人見知りではあったものの、気の合う友人とは深い関係を築いていたのかもしれません。
学内イベントや思い出
学内イベントに関する具体的なエピソードは見当たりませんでした。
しかし、高校3年生の進路相談で俳優を目指す決意を語り、先生から応援されたことは、彼にとって大きな転機であり、忘れられない思い出となっているでしょう。
中学・小学校などその他の学歴
続いて、大東さんの出身中学校や小学校時代について見ていきましょう。彼の壮絶な過去もこの時期に関係しています。
出身中学・子供時代の様子
◇◆大東さんの出身中学校は、地元の堺市立旭中学校です。◇◆
◎◆中学時代は陸上部に所属し、短距離走の選手として活躍していました。◎◆
△▼お笑いコンビ「金属バット」の小林圭輔さんとは中学の同級生で親友です。後述する困難な時期に、小林さんら友人に支えられたエピソードも明かされています。△▼
△▼中学時代も人見知りは続いており、特に女子とはほとんど話せなかったそうですが、男子の友人グループとは非常に仲が良かったとのことです。△▼
△▼実は中学2年生の頃、母親が蒸発。一時一人暮らしとなり、食べるものにも困るほどの極貧生活を経験します。その後、近所の人の気づきで親戚(伯母)に引き取られ、育てられました。この経験が、彼の後の人生観や俳優という仕事への考え方に影響を与えたと語っています。△▼
小学校時代の活動・家庭環境など
◇◆出身小学校は、堺市内の公立校のようですが、具体的な校名は不明です。中学校区から考えると、堺市立大仙小学校か堺市立神石小学校の可能性が指摘されていますが、引っ越しの可能性もあり断定はできません。◇◆
□■家族構成は両親との3人家族(一人っ子)でしたが、小学3年生の頃に両親が離婚。さらに8歳の頃に父親が蒸発し、以降はクリーニング店を営む母親と二人暮らしでした。父親は一時俳優をしていた時期があり、そのことも俳優を目指す上で影響があったと語っています。□■
小学校時代は活発でリーダー格、学級委員も務める模範的な生徒だったようです。しかし、中学進学前の引っ越しを機に、人見知りが激しくなったとされています。
学歴から見える大東駿介の人物像とは?
高校卒業という学歴や、壮絶な経験を持つ大東駿介さん。その背景からどのような人物像が見えてくるでしょうか?
進学せず挑戦する行動力/才能重視の生き方
大学進学という一般的なルートを選ばず、高校卒業と同時に「俳優になる」という夢に向かって上京した決断力と行動力は、大東さんの大きな特徴と言えるでしょう。
困難な状況をバネにし、「自分の境遇を武器にできる」と考えて芸能界を目指した点からは、逆境を力に変える強さも感じられます。
学歴にとらわれないキャリア観の考察
大東さんのキャリアは、学歴が全てではないことを示しています。19歳で掴んだデビューのチャンスを活かし、着実に俳優としての実力を磨き上げてきました。
壮絶な過去や人見知りだった経験も、役者としての深みや表現力に繋がっているのかもしれません。学歴よりも、経験や人間性、そして夢を追いかける情熱が、彼の俳優人生を支えていると言えそうです。
まとめ
大東駿介さんが桐島ヒロミ役で出演し、人気を博した映画『クローズZERO』シリーズ。特に『クローズZERO II』での活躍は印象的でした。
NHK連続テレビ小説『ウェルかめ』では、ヒロインの相手役・山田勝乃新を好演し、お茶の間の知名度を大きく上げました。総集編で感動をもう一度。
大東さんの魅力を様々な角度から切り取った写真集『月刊MEN 大東駿介』も発売されています。ファン必見の一冊です。
俳優プロフィール
- 氏名(フリガナ):大東 駿介(だいとう しゅんすけ)
- 最終学歴:大阪府立堺工業高等学校(現:大阪府立堺工科高等学校)卒業
- 出身高校:大阪府立堺工業高等学校(現:大阪府立堺工科高等学校)
- 芸能界入りのきっかけ:2005年のオーディション「Try to Top 2005」でグランプリを受賞。
- 俳優の紹介: 1986年生まれ、大阪府堺市出身。2005年にオーディションでグランプリを獲得し、『野ブタ。をプロデュース』で俳優デビュー。以降、『クローズZERO』シリーズ、朝ドラ『ウェルかめ』、ドラマ『新・ミナミの帝王』シリーズ、『らんまん』、『大奥 Season2』、『厨房のありす』など、数多くの映画やドラマ、舞台で活躍。モデルとしても活動経験がある。8歳で父が蒸発、中学2年で母も蒸発するという壮絶な過去を持ち、一時は極貧生活や引きこもりも経験。人見知りや対人恐怖症を乗り越え、俳優の夢を実現した。その経験が演技の深みにも繋がっていると評される実力派俳優。






