この記事では、俳優・生瀬勝久さんの学歴(同志社大学、兵庫県立宝塚高校など)や、学生時代のエピソード(生徒会長経験や劇団活動)、改名のきっかけなどを詳しくご紹介します。
生瀬勝久さんは、ドラマ『TRICK』の矢部謙三役や『ごくせん』の猿渡教頭役などで強烈なインパクトを残し、今や日本のドラマ・映画に欠かせない個性派俳優です。コミカルからシリアスまで幅広い役柄を演じ分け、独特の存在感で多くの視聴者を魅了しています。
個性的な演技と存在感で知られる生瀬さんですが、その輝かしい学歴や学生時代のエピソードにも注目が集まっています。 関西の名門・同志社大学を卒業し、学生時代には生徒会長も務めたという意外な一面も。
この記事では、生瀬さんの出身大学や高校・中学校の偏差値情報、学生時代の貴重なエピソード、さらには「槍魔栗三助」というユニークな旧芸名から本名に改名した経緯などを詳しく掘り下げていきます。
名脇役として確固たる地位を築いた生瀬さんの、知られざるルーツや人物像に迫ってみましょう。
生瀬勝久の学歴まとめ
まずは、生瀬勝久さんの学歴を一覧で見ていきましょう。
- 出身大学: 同志社大学 文学部 社会学科(偏差値60)
- 出身高校: 兵庫県立宝塚高等学校(偏差値50)
- 出身中学校: 西宮市立塩瀬中学校
- 出身小学校: 西宮市立春風小学校 → 西宮市立生瀬小学校(転校)
関西の名門私立大学である同志社大学に進学されています。学生時代から演劇活動に打ち込み、現在の活躍の礎を築きました。
出身大学・学部・偏差値
生瀬さんの出身大学は、関西の難関私立大学として知られる同志社大学です。
◇◆同志社大学は京都府京都市にキャンパスを構える、1875年創立の歴史ある大学です。生瀬さんは文学部社会学科(現在は社会学部に改組)を卒業されています。当時の偏差値は60とされており、入学はやや難関であったことがうかがえます。◇◆
△▼大学へは1年間の浪人生活を経て入学しています。浪人時代は、地元の花のみちにあったお好み焼き屋さんでアルバイトをしていたと、2017年の宝塚市長との対談で語っています。△▼
大学では演劇の世界に深く傾倒していくことになります。
大学時代のエピソード
同志社大学に入学した生瀬さんは、当初は喜劇研究会に所属し、落語やコントなどを披露していたそうです。
◎◆その後、大学の劇団「第三劇場」に所属。ここで劇作家・演出家のマキノノゾミさんと交流があったといいます。また、学生時代は「槍魔栗 三助(やりまくり さんすけ)」というユニークな芸名で活動していました。◎◆
大学2年生、20歳のときに観たつかこうへいさんの舞台に衝撃を受け、本格的に演劇にのめり込みます。「セットも何もなく、ジャージみたいなので大きな声出して…これだけのものができるんだ、ってことに度肝を抜かれちゃった」と、その衝撃を語っています。
〇●1982年、京都大学系の劇団「そとばこまち」で当時座長を務めていた辰巳琢郎さんにスカウトされ、翌1983年に入団。同年、『猿飛佐助』で初舞台を踏みました。このデビュー公演を観た俳優の渡辺いっけいさんは「本当に天才だった」「衝撃のデビューだった」と、当時の生瀬さんの才能を絶賛しています。〇●
なお、大学には2年間留年しており、卒業したのは1986年、26歳の時でした。演劇活動に熱中するあまり、学業との両立に苦労したのかもしれません。
卒業後の進路や芸能活動との関連
大学卒業にあたり、生瀬さんは一度リース会社への就職が内定していました。
〇●しかし、「お芝居をしたい」という本能的な気持ちを抑えきれず、両親の前で「ちょっと考えさせてくれ」と告げ、1週間悩んだ末に内定を辞退。覚悟を決めて劇団に戻り、役者の道を選びました。この決断が、現在の俳優・生瀬勝久につながる大きな転機となります。〇●
△▼1988年には、劇団「そとばこまち」の4代目座長に就任し、脚本や演出も手掛けるようになります。同年、読売テレビの深夜コント番組『週刊テレビ広辞苑』にレギュラー出演し、コメディアンとしての才能を開花させ、関西で人気を博しました。また、人気番組『探偵!ナイトスクープ』の初期メンバー(探偵)としても活躍しました。△▼
△▼同じく1988年、NHKの連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』へのレギュラー出演が決まります。しかし、「槍魔栗三助」という芸名はNHKの放送にはふさわしくないと判断され、これを機に本名である「生瀬勝久」に改名しました。△▼
当初はタレントやコメディアンとして注目されましたが、次第に俳優としての活動が中心となり、数多くのドラマや映画で名脇役として活躍の場を広げていきます。
生瀬勝久の高校時代
次に、生瀬さんの高校時代について見ていきましょう。どのような青春時代を送っていたのでしょうか。
高校名・学科・偏差値
生瀬さんの出身高校は、兵庫県宝塚市にある公立高校です。
◇◆兵庫県立宝塚高等学校に通っていました。この高校は1963年開校で、地元では「県宝(けんぽう)」と呼ばれているそうです。偏差値は50(普通科)とされており、中堅レベルの高校です。◇◆
高校での部活・思い出・交友関係
高校時代の生瀬さんは、学業だけでなく部活動やアルバイトにも励んでいたようです。
◎◆高校ではバレーボール部に所属していました。中学時代には駅伝で地方大会優勝経験もあるなど、運動神経は良かったようです。◎◆
◎◆また、高校時代には地元の「宝塚ファミリーランド」(現在は閉園)でアルバイトをしており、夏場はジュースを売っていたそうです。当時の時給は350円だったとか。浪人時代のお好み焼き屋といい、学生時代から働く経験をしていたのですね。◎◆
高校3年生の時には、好きな女子生徒と交換日記をしたり、毎日電話したりするほど仲が良かったそうですが、勇気を出して告白した結果、振られてしまったという甘酸っぱい思い出も。
後のインタビューでは、学生時代は「基本、真面目。無骨だった」と自身を振り返っています。「平等でいたい、っていうのがまずあるのかも知れないな。だから、偉そうにする人嫌いなんだよ」とも語っており、当時から正義感や公平さを大切にする性格だったことがうかがえます。
△▼なお、兵庫県立宝塚高校の卒業生には、お笑い芸人の東野幸治さんもいます。生瀬さんとは学年が異なりますが、同じ学び舎で過ごしたのですね。△▼
中学・小学校などその他の学歴
続いて、生瀬さんの中学校や小学校時代を振り返ります。リーダーシップを発揮する活発な少年だったようです。
出身中学校と当時のエピソード
生瀬さんの出身中学校は、地元・西宮市内の公立中学校です。
◇◆西宮市立塩瀬中学校を卒業しています。この中学校は、生瀬さんが高校時代を過ごした宝塚市に近い場所に位置しています。◇◆
◎◆中学時代は吹奏楽部に在籍し、サックスを担当していました。一方で、駅伝の地方大会で優勝するなど、運動能力の高さも示しています。◎◆
そして、特筆すべきは中学時代に生徒会長を務めていたことです。小学校時代の児童会長に続き、リーダーとしての資質を発揮していました。当時から正義感が強く、いじめを見過ごせず注意することもあったというエピソードも残っており、真面目で模範的な生徒だったようです。
小学校時代の性格・家庭環境など
生瀬さんは兵庫県西宮市で生まれ育ちました。
◇◆小学校は、西宮市立春風小学校に入学しましたが、小学3年生の時に同じ西宮市内の生瀬(なまぜ)地区へ引っ越し、西宮市立生瀬小学校に転校しています。「生瀬」という名字はこの地名に由来するのかもしれません。◇◆
小学校時代には児童会長を務めており、幼い頃からリーダーシップを発揮するタイプだったことがわかります。当時の将来の夢は「社長になること」だったそうです。
□■家族構成は両親と兄の4人家族。母親は小学校教師であり、後に市議会議員も務めた方だそうです。教育熱心な家庭環境だったのかもしれません。□■
学歴から見える生瀬勝久の人物像とは?
これまでの学歴やエピソードから、生瀬勝久さんとはどのような人物なのでしょうか?その人物像に迫ります。
真面目さとリーダーシップ?学生時代の経験
小学校で児童会長、中学校で生徒会長を務めた経験は、生瀬さんの真面目さやリーダーシップを物語っています。インタビューでの「基本、真面目」「平等でいたい」という自己分析や、中学時代の正義感あふれるエピソードからも、誠実で公平さを重んじる人柄がうかがえます。
演劇の世界で個性的な役柄を演じることが多い生瀬さんですが、その根底にはしっかりとした芯の強さがあるのかもしれません。
演劇への情熱と覚悟:就職内定辞退の真相
生瀬さんの人生における大きなターニングポイントは、大学卒業時の就職内定辞退でしょう。安定した道よりも、自身の「お芝居が好きだ」という本能的な衝動に従い、演劇の道を選びました。
つかこうへいさんの舞台に衝撃を受け、演劇にのめり込んだ大学時代。そして、将来への不安もあったはずですが、それを乗り越えて役者の道に進むことを決断した強い意志と覚悟。この演劇への情熱が、今日の俳優・生瀬勝久を形作っていると言えるでしょう。親に学費を出してもらったことへの責任感と、自身の夢との間で葛藤した末の決断だったことがうかがえます。
まとめ
今回は、俳優・生瀬勝久さんの輝かしい学歴と、学生時代のエピソード、そして俳優としての道を歩むきっかけについてご紹介しました。
- 同志社大学 文学部 社会学科 卒業 (偏差値60)
- 兵庫県立宝塚高等学校 卒業 (偏差値50)
- 西宮市立塩瀬中学校 卒業
- 西宮市立春風小学校 / 生瀬小学校 卒業
小学校・中学校では児童会長・生徒会長を務めるなど、真面目でリーダーシップのある学生時代を送っていました。同志社大学では演劇に没頭し、辰巳琢郎さんにスカウトされて「そとばこまち」に入団。就職内定を辞退して役者の道を選び、「槍魔栗三助」として関西で人気を博した後、NHK朝ドラ出演を機に本名「生瀬勝久」として全国区の俳優へ。
『TRICK』や『ごくせん』をはじめ、数々の作品で唯一無二の存在感を放つ名脇役として活躍し続ける生瀬さん。その個性的な演技の裏には、学生時代に培われた真面目さや、演劇への熱い情熱と覚悟がありました。
これからも、ドラマ、映画、舞台と、様々なフィールドでの活躍から目が離せません。
生瀬さんといえば、やはり『TRICK』シリーズの矢部謙三役を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。阿部寛さん、仲間由紀恵さんとのコミカルな掛け合いは必見です。
熱血教師ヤンクミと個性的な生徒たちを描いた『ごくせん』シリーズでは、憎めない猿渡教頭役で人気を博しました。THE MOVIEでは、その集大成が見られます。
考察が白熱したドラマ『あなたの番です』では、ミステリアスな住民・田宮淳一郎役を怪演。劇場版では、ドラマとは異なる”もしもの世界”が描かれています。
俳優プロフィール
- 氏名: 生瀬 勝久(なませ かつひさ)
- 最終学歴: 同志社大学 文学部 社会学科(現:社会学部 社会学科)
- 出身高校: 兵庫県立宝塚高等学校
- 芸能界入りのきっかけ: 同志社大学在学中に劇団「そとばこまち」にスカウトされ入団し、俳優活動を開始。
- 俳優の紹介: 兵庫県西宮市出身の個性派俳優。同志社大学在学中から演劇活動を始め、関西を拠点に「槍魔栗三助」の芸名で活躍。1988年のNHK朝ドラ『純ちゃんの応援歌』出演を機に本名へ改名し、全国区へ進出。『TRICK』の矢部謙三、『ごくせん』の猿渡五郎など、一度見たら忘れられない強烈なキャラクターを数多く演じ、名脇役として確固たる地位を築く。シリアスからコメディまで変幻自在に演じ分ける演技力と、バラエティ番組で見せる軽快なトークも魅力。近年も話題作への出演が絶えず、日本のエンターテイメント界に欠かせない存在となっている。











