俳優、映画監督、声優、タレントとして、長年にわたり唯一無二の存在感を放ち続ける竹中直人さん。映画『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』での個性的な役柄や、大河ドラマ『秀吉』でのエネルギッシュな主演、近年では『あなたの番です』など、記憶に残るキャラクターを数多く演じてきました。また、『無能の人』や『東京日和』では映画監督としても高い評価を得ています。
そんな多彩な才能を持つ竹中さんですが、実は名門・多摩美術大学の出身であることをご存知でしょうか? コメディアンとしてデビューし、その後俳優・監督としても活躍するという異色の経歴を持つだけに、そのバックグラウンドである学歴にも注目が集まります。
この記事では、竹中直人さんの出身小学校から中学校、高校、そして大学までの学歴を詳しくご紹介します。内気だった少年時代、モノマネで人気者になった中学時代、映画制作に没頭した高校・大学時代など、貴重なエピソードを交えながら、その人物像と才能の原点に迫ります。竹中さんは一体どんな学生生活を送ってきたのでしょうか?一緒に見ていきましょう。
竹中直人の学歴まとめ
まずは、竹中直人さんの輝かしいキャリアを支える学歴の全体像を見ていきましょう。小学校から大学まで、どのような学び舎で過ごされてきたのでしょうか。
出身大学・学部・偏差値(多摩美術大学 美術学部 デザイン科 グラフィックデザイン専攻)
竹中直人さんの最終学歴は、多摩美術大学 美術学部 デザイン科 グラフィックデザイン専攻です。Wikipediaによると、高校卒業後、2年間の浪人生活を経て1976年に多摩美術大学へ入学されています。多摩美術大学は、芸術分野における日本のトップクラスの大学の一つであり、多くの著名なクリエイターを輩出しています。
学科試験の偏差値だけで見ると、一部のサイトでは55程度と紹介されることもありますが、美術大学は実技試験の比重が非常に高く、入学難易度は高いと言えます。竹中さんがグラフィックデザインを専攻していたことからも、確かな美的センスと表現力を持っていたことがうかがえますね。
大学時代のエピソード(映像制作への没頭、「笑いながら怒る人」誕生秘話、コメディアン道場優勝など)
多摩美術大学在学中、竹中さんは「映像演出研究会」に所属し、8ミリ映画の制作に熱中していたそうです。Wikipediaにも記載があるように、監督から出演までこなし、その情熱は後の映画監督としての活動にも繋がっていきます。
また、竹中さんの代名詞ともいえる十八番ネタ「笑いながら怒る人」が生まれたのもこの大学時代。自主制作した短編映画「首振り地蔵の怪」を仲間から笑われた際に、「(笑いながら)ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」と言い返したところ大ウケしたのが起源だと、Wikipediaには記されています。
さらに、大学2年生だった1977年には、TBS系のバラエティ番組『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」に出場し、見事19代チャンピオンに輝いています。この頃から、コメディアンとしての才能も開花させていたのですね。大学時代にはすでに劇団青年座にも所属し、演技の勉強も始めていたようです。
卒業後の進路や芸能活動との関連(青年座入団からコメディアン、そして俳優・監督へ)
多摩美術大学を1980年に卒業後、竹中さんは正式に劇団青年座に入団します。しかし、「俳優だけでは食べていけない」と感じていた頃、プロダクション人力舎から声がかかり、1983年にテレビ朝日系の『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」でグランドチャンピオンを獲得。これを機にコメディアンとして本格的にデビューを果たしました。
その後、シティーボーイズらとコントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成するなど、お笑いの世界で活躍。並行して俳優としても徐々に活動の幅を広げ、1991年にはつげ義春原作の映画『無能の人』で監督兼主演を務め、映画監督としてもデビュー。多摩美大で培った映像制作の経験が、見事に活かされた形となりました。
竹中直人の高校時代
多感な青春時代を過ごした高校はどこだったのでしょうか。当時のエピソードとともにご紹介します。
高校名・学科・偏差値(関東学院六浦高等学校 ※中高一貫)
竹中直人さんの出身高校は、神奈川県横浜市にある私立の関東学院六浦(むつうら)高等学校です。
この高校は中高一貫校で、Wikipediaによると竹中さんも系列の関東学院六浦中学校から内部進学しています。そのため、高校受験の偏差値というものはありませんが、中学受験時の偏差値は50台後半から60台前半程度と言われているようです(※偏差値は参考情報です)。ラグビー部などが強豪として知られる学校です。
著名な卒業生には、俳優の小泉孝太郎さんや政治家の小泉進次郎さん兄弟などがいます。
高校での部活・思い出・交友関係(美術部、バンド活動、自主映画制作)
高校時代の竹中さんは、中学に引き続き美術部に在籍していました。絵を描くことが好きだった少年時代の興味が、そのまま続いていたようです。
それと同時に、音楽活動にも熱中し、同級生とフォークバンドを組んでいたという情報もあります。さらに、この頃から映画への情熱は高まり、仲間とお金を出し合って8ミリカメラを購入し、自主映画制作を開始。企画から撮影、監督、出演までこなしていたそうで、まさに後のマルチな才能の萌芽がうかがえますね。あるインタビューでは、当時好きだった女の子を撮りたくてカメラを買ったものの、結局撮れなかった、という甘酸っぱいエピソードも語られています。
また、2学年上には後に『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役などで有名になる声優の古谷徹さんも在籍していたそうです。
中学・小学校などその他の学歴
俳優・竹中直人さんの個性的なキャラクターは、いつ頃から形作られていったのでしょうか。ルーツを探るべく、小中学校時代を見ていきましょう。
出身中学校と当時のエピソード(関東学院六浦中学校、モノマネで人気者に)
竹中さんの出身中学校は、高校と同じく関東学院六浦中学校です。私立の共学校で、中学受験を経て入学されました。
中学でも美術部に在籍していましたが、転機となったのは、小学校まで内気だった性格を克服しようとモノマネを始めたこと。これが同級生の間で大ウケし、学校の人気者になったと、Wikipediaやインタビューなどで語られています。現在の多彩な表現力の原点とも言えるエピソードですね。
小学校時代の性格・家庭環境など(横浜市立富岡小学校、内気で絵が好き、漫画家志望)
竹中さんの出身小学校は、地元の公立校である横浜市立富岡小学校です。
Wikipediaによると、横浜市役所に勤務するご両親のもと、一人っ子として育ちました。幼い頃は非常に内気な性格で、家で一人で絵を描いて過ごすことが多かったそうです。特に手塚治虫さんや川崎のぼるさんの漫画が好きで、よく模写をしていたとか。その影響もあってか、小学校時代の将来の夢は漫画家になることだった、という情報もあります。
一方で、両親と映画館に行くのが楽しみだったそうで、この頃から映画への憧れも抱いていたようです。集団行動は少し苦手で、通信簿には「協調性がない」と書かれたこともあった、という微笑ましいエピソードも伝えられています。
学歴から見える竹中直人の人物像とは?
これまでの学歴や学生時代のエピソードを振り返ると、竹中直人さんという人物のユニークな輪郭が浮かび上がってきます。彼の人物像について考察してみましょう。
多才さと探求心:美大での経験が原点?
絵画、モノマネ、音楽、そして映像制作。竹中さんは若い頃から実に多くの分野に興味を持ち、実際に形にしてきたことがわかります。この多才さは、彼の大きな魅力の一つと言えるでしょう。
特に、多摩美術大学でグラフィックデザインや映像を専門的に学んだ経験は、その後の俳優業や、特に映画監督としての活動において、大きな基盤となっているのではないでしょうか。常に新しい表現方法を模索し、枠にとらわれずに挑戦し続ける探求心は、この頃から培われてきたのかもしれません。
進学歴と俳優人生の接点(表現への情熱と独自のキャリアパス)
美術大学へ進学し、その後コメディアン、俳優、映画監督へと活動の幅を広げていった竹中さん。そのキャリアパスは非常にユニークです。美大への進学も、単に学歴を得るためというよりは、自身の表現への情熱を満たすための自然な選択だったように感じられます。
学生時代に熱中したモノマネや映像制作が、現在の多様な活動に直接的・間接的に繋がっていることは明らかです。「学歴がすべてではない」とはよく言われますが、竹中さんの場合は、学校での学びや経験が、見事に自身の才能を開花させ、豊かな俳優人生、クリエイター人生へと結実していると言えるでしょう。その独自のキャリアパスそのものが、彼の魅力となっています。
まとめ
この記事では、俳優・竹中直人さんの学歴について、小学校から大学まで詳しくご紹介しました。
- 出身大学:多摩美術大学 美術学部 デザイン科 グラフィックデザイン専攻
- 出身高校:関東学院六浦高等学校(中高一貫)
- 出身中学校:関東学院六浦中学校
- 出身小学校:横浜市立富岡小学校
内気な少年がモノマネで人気者になり、美術や映像制作に没頭した学生時代を経て、コメディアン、俳優、そして映画監督へと、常に表現の可能性を追求し続けてきた竹中さん。その多才ぶりとユニークなキャリアの原点は、まさに学生時代の経験にあったと言えるでしょう。
これからも、俳優として、監督として、そして様々な分野で私たちを驚かせ、楽しませてくれるに違いありません。竹中直人さんの今後の活躍からも目が離せませんね。










