俳優・田辺誠一さん。ドラマ『ガラスの仮面』の速水真澄役で多くの視聴者を魅了し、その後も大河ドラマ『青天を衝け』『どうする家康』や朝ドラ『らんまん』など数々の話題作に出演されています。近年は独特なタッチのイラストがSNSなどで「画伯」として人気を集めるなど、多方面で活躍されていますね。
そんな田辺さんですが、実は高校在学中にモデルデビューし、その後俳優へと転身した経歴の持ち主。特に、名門として知られる法政大学の付属高校に通いながらも、大学へは進学しなかったという選択は、ファンの間でも「なぜ?」と注目を集めています。
この記事では、田辺さんの気になる学歴、特に「法政大学第二高校」でのエピソードや当時の偏差値、そして大学に進まなかった理由に迫ります。さらに、絵画に没頭した中学時代やスポーツに打ち込んだ小学校時代など、知られざる学生時代のエピソードも詳しくご紹介。
クールな役柄から画伯としてのユニークな一面まで持つ田辺さん。一体どのような学生生活を送ってきたのでしょうか?そのルーツを探っていきましょう。
田辺誠一の学歴まとめ(高卒)
まずは、田辺誠一さんの学歴を小学校から順に見ていきましょう。最終学歴は高校卒業となります。
出身高校は名門・法政大学第二高校!当時の偏差値は?
田辺さんの出身高校は、神奈川県川崎市にある私立の法政大学第二高校です。法政大学の付属校として知られ、自由な校風が特徴です。田辺さんが在籍していた当時は男子校でしたが、2016年度からは共学化されています。
付属校ではありますが、田辺さんは一般受験で入学したとのこと。当時の偏差値について、一部の情報サイトでは「50台中盤」だったと紹介されています。現在は内部進学制度の人気などもあり偏差値70程度とされていますが、時代によって変動があるようですね。
なぜ大学進学を選ばなかったのか?その理由と葛藤
法政大学の付属高校ということで、卒業すれば系列の法政大学へ内部進学する道もありました。しかし、田辺さんは内部進学を選ばず、より難関の大学を目指して受験に挑戦したそうです。
残念ながら志望大学には合格できず、浪人して再チャレンジすることも考えたといいます。ですが、そこまでの情熱を持てなかったことから、最終的に大学進学は諦め、高校卒業後はモデルとしての活動に専念する道を選びました。高校時代からすでにモデルとして活躍していたことも、この決断に影響したのかもしれませんね。
高校時代にモデルデビュー!卒業後の進路と俳優転身のきっかけ
田辺さんの芸能界入りのきっかけは、高校3年生の秋に訪れます。ファッション誌『メンズノンノ』の第2回専属モデルオーディションに応募し、なんと5000人の中から選ばれて合格!18歳でモデルデビューを果たしました。
高校卒業後は大学へは進まず、そのままモデルとしてのキャリアを歩み始めます(モデル活動は1994年まで続けました)。そして23歳の時、1992年のドラマ『熱い胸さわぎ』で俳優デビュー。
その後、1997年に安達祐実さん主演のドラマ『ガラスの仮面』で速水真澄役を演じたことで、俳優として大きな注目を集めることになりました。
田辺誠一の多才ぶりが光る高校時代のエピソード
高校時代の田辺さんは、学業やモデル活動だけでなく、部活動や創作活動にも情熱を注いでいたようです。
強豪ボート部での活躍と体育会系な一面
クールで文化系なイメージもある田辺さんですが、高校時代は意外にも体育会系な一面を持っていました。強豪として知られたボート部に所属し、主力選手として活躍していたそうです。
練習はかなりハードだったようで、帰宅が深夜24時頃になることもあったとか。Wikipediaやインタビュー情報によると、高校時代の握力が55kgあったとも語られており、厳しい練習に打ち込んでいた様子がうかがえますね。
自主映画制作や小説執筆も?創作活動への情熱
スポーツに打ち込む一方で、田辺さんは創作活動にも強い関心を持っていました。Wikipediaによれば、16歳の時には「Art Project Swim(アート・プロジェクト・スウィム)」というグループを結成し、自主制作映画を撮ったり、絵画や小説、写真といった創作活動に積極的に取り組んでいたそうです。
後の映画監督や「画伯」としての活動の萌芽が、すでに高校時代から見られますね。部活動引退後にモデルの道へ進んだのも、表現することへの興味が根底にあったのかもしれません。
中学・小学校時代の田辺誠一
ここからは、田辺さんのルーツを探るべく、中学・小学校時代のエピソードを見ていきましょう。
出身中学(世田谷区立砧南中学校)と絵画への没頭
田辺さんの出身中学校は、地元である東京都世田谷区の公立校、世田谷区立砧南(きぬたみなみ)中学校と言われています。(※こちらは公式な発表ではなく、一部情報サイトで紹介されている情報です)。
中学時代の田辺さんは、絵画に夢中だったそうです。世田谷区のコンテストで表彰された経験もあり、当時はゴッホの絵画の模写なども行っていたとか。その才能は先生も認めるところで、美術の先生からは父親に「美術大学への進学」を勧められたほどだったといいます(このエピソードはWikipediaにも記載があります)。現在の「画伯」としての活動につながる原点が、この頃からあったのですね。
ちなみに、意外にも中学時代までは団体行動があまり得意ではなかった、というエピソードも一部で伝えられています。
出身小学校(世田谷区立桜小学校)時代のスポーツ少年・漫画好き
出身小学校は、中学校と同じく世田谷区内にある公立の世田谷区立桜小学校であると言われています。(※こちらも公式発表ではなく、一部情報サイトによる情報です)。
子供の頃からスポーツが好きで、小学校時代は野球と水泳を習っていたそうです。地元の少年野球チームにも所属していたとのこと。また、当時から大の漫画好きで、特にお気に入りは『キン肉マン』だったとか。Wikipediaによると、絵を描くようになった原点は『キン肉マン』とのことで、小学生時代は漫画のキャラクターを描くことに熱中していたようです。
ご家族は両親とお兄さんの4人家族で、お兄さんと一緒によく後楽園球場へ野球観戦に行っていたという思い出も語られています。
学歴から見える田辺誠一の人物像とは?
これまでの学歴や学生時代のエピソードから、田辺誠一さんとはどのような人物なのか、その内面に迫ってみましょう。
大学進学を選ばず才能を活かす道へ!行動力と独自のキャリア観
法政大学の付属高校に通いながらも、大学進学という一般的なルートを選ばなかった田辺さん。高校時代に掴んだモデルというチャンスを活かし、自らの才能と興味が向く道へと進む行動力がうかがえます。
大学受験に失敗した後も、浪人してまで学歴に固執するのではなく、モデルとしての活動に情熱を注ぎました。この決断からは、学歴よりも自身の可能性を信じ、独自のキャリアを切り拓いていくという強い意志が感じられます。
俳優、監督、画伯… 学歴にとらわれないマルチな活躍
田辺さんの活躍は、俳優業にとどまりません。映画監督として自身の作品を発表し、初監督作『dog-food』はベルリン国際映画祭に正式招待されるなど、国際的な評価を得たこともあります。
近年では「画伯」としてユニークなイラストが人気を集め、個展を開くまでになりました。こうしたマルチな才能は、特定の学歴や分野にとらわれることなく、常に新しい表現に挑戦し続ける姿勢の表れと言えるでしょう。中学時代の絵画への情熱、高校時代の創作活動など、学生時代から培われてきたものが、現在の幅広い活躍につながっているのかもしれません。
まとめ
今回は、俳優・田辺誠一さんの学歴について詳しく見てきました。
- 出身小学校: 世田谷区立桜小学校(※推定)
- 出身中学校: 世田谷区立砧南中学校(※推定)
- 出身高校: 法政大学第二高校
- 大学: 進学せず
学生時代はスポーツや絵画、創作活動に打ち込み、高校3年生でモデルデビュー。大学進学はせず、モデルから俳優へと転身し、確固たる地位を築きました。
現在は俳優、映画監督、そして「画伯」としても活躍する田辺さん。その多才ぶりと独自のキャリアは、学生時代の経験や決断が大きく影響しているようです。今後のさらなる活躍からも目が離せませんね。











