俳優・寺島進さんの学歴が注目されています。早稲田大学を中退し、専門学校で俳優の道へ。その経歴には知られざる下積み時代がありました。
寺島進さんは、数々の映画やドラマで独特の存在感を放つ実力派俳優です。
コワモテな印象とは裏腹に、実は早稲田大学に進学していたという意外な一面や、長い下積み時代を経て成功を掴んだ経歴が関心を集めています。
特に、なぜ名門大学を中退し、専門学校で俳優を目指す道を選んだのか、その背景に注目が集まります。
この記事では、寺島進さんの出身小学校から中学校、偏差値47の高校、早稲田大学中退、そして俳優への道を歩むきっかけとなった専門学校(三船芸術学院)までの学歴を詳しくご紹介します。
学生時代のエピソードや苦労話から、寺島さんの人物像や俳優としての原点を探ってみましょう。
寺島進の学歴まとめ
まずは、寺島進さんの学歴を一覧でご紹介します。
出身専門学校・学科・偏差値
寺島さんの最終学歴は専門学校卒業です。
◆◆寺島進さんは、三船芸術学院を卒業しています。◆◆
この学院は俳優の三船敏郎さんが設立した三船プロダクションが運営していた俳優養成所で、多くの俳優を輩出しましたが、後に閉鎖されました。
学院では、俳優としての基礎(発声、演技)に加え、アクションやスタント、殺陣などを学んだようです。
▼▼専門学校のため、偏差値に関する情報は見つかりませんでした。▼▼
進学理由・将来の夢との関係性
高校卒業後、なぜ専門学校の道を選んだのでしょうか。
高校卒業後の進路を考えていた際、近所の人から「進の余興は面白いし、目立ちたがり屋だから、そういう業界がいいんじゃない?」と勧められたそうです。
●●たまたま三船芸術学院のパンフレットを持っていた人がおり、「芸術」という言葉に惹かれて入学を決意しました。●●
俳優を目指すことについて、当初は親に反対されたものの、「好きな道へ進め」という言葉にも後押しされたと語っています。
自分で決めた道だからと、学費はアルバイトで稼いで支払っていました。
◎◎昼は工事現場、夜は歌舞伎町の飲食店で黒服のアルバイトをしながら、自ら学費を稼いで通っていました。◎◎
卒業後の進路(デビューや芸能活動との関係)
専門学校卒業後、すぐに俳優として活躍できたわけではありませんでした。
学院では基礎的な発声や演劇、アクション、スタントなどを学びました。
特に殺陣の授業が面白かったことから、講師の宇仁貫三さんに師事します。
卒業後は宇仁さんが主宰する「剣友会」に入門し、スタントマンや斬られ役として活動を始めました。
ドラマの端役などに出演しながら、下積み時代を過ごします。
●●1985年のドラマ『私鉄沿線97分署』で初めて名前のある役(暴走族の杉山役)をもらい、これが本格的な俳優デビューとされています。●●
しかし、その後も下積み生活は長く、30代半ばまで俳優業だけでは食べていけなかったそうです。
ヒーローショーのスーツアクターや様々なアルバイトで生計を立てていました。
寺島進の出身高校はどこ?
寺島さんの高校時代はどのような様子だったのでしょうか。
高校名・偏差値・部活動
出身高校と偏差値、部活動について見ていきましょう。
◆◆寺島進さんの出身高校は、東京都立葛飾野高等学校です。◆◆
東京都葛飾区亀有にある共学の都立高校です。
1940年開校と比較的に歴史があり、部活動が盛んなことで知られています。
◆◆偏差値は47(当時の情報)とされています。◆◆
高校では部活動にも打ち込んでいました。
◎◎高校時代はハンドボール部に所属していました。◎◎
▼▼著名な卒業生には、競馬評論家の井崎脩五郎さんや小説家の小杉健治さんがいます。▼▼
高校時代のエピソード
高校時代の寺島さんは、どのような生徒だったのでしょうか。
高校時代はかなりやんちゃだったようで、リーゼントヘアで登校し、授業をサボることもあったとか。
下校途中に制服姿でビールを飲むなどの武勇伝も残っています。
一方で、バンドを結成してボーカルとギターを担当し、矢沢永吉さんに憧れていたという一面も。
ファッションも矢沢さんを真似て、バギーパンツに革ジャンといったスタイルだったそうです。
◎◎学業の傍ら、地下鉄工事などのアルバイトをしたり、実家が畳屋だったため、繫忙期には家業を手伝ったりもしていました。◎◎
得意科目は中学時代に引き続き、美術と体育だったそうです。
芸能界との接点(在学中の活動など)
高校時代に芸能活動はしていたのでしょうか。
高校在学中に芸能活動をしていたという情報はありません。
しかし、卒業後の進路を考えていた時期に、前述の通り近所の人から芸能界入りを勧められたことが、俳優を目指す大きなきっかけとなりました。
この一言がなければ、俳優・寺島進は誕生していなかったかもしれません。
中学・小学校などその他の学歴は?
俳優としての原点にも繋がるかもしれない、中学・小学校時代を見ていきましょう。
出身中学校・特徴
中学校は地元の公立校に進学しました。
◆◆出身中学校は、地元の江東区立深川第二中学校です。◆◆
東京都江東区冬木にある公立中学校です。
◎◎中学時代は野球部に所属し、センターで5番打者として活躍。1年生の時には区の大会で優勝した経験もあるそうです。◎◎
勉強は苦手だったものの、絵が上手く、美化啓発ポスターのコンテストで入賞したことも。
この頃から芸術的な才能の片鱗を見せていたのかもしれません。
一方で、中学2年生の頃にはリーゼントヘアにし、学ランを変形させる(母親に直されたそうですが)など、少しずつやんちゃな面も現れ始めたようです。
▼▼主な卒業生には、俳優の染谷将太さんや歌手の光永亮太さんがいます。▼▼
小学校時代の習い事や性格など
小学校時代はどんな子供だったのでしょうか。
◆◆出身小学校は、江東区立八名川小学校です。◆◆
こちらも地元、東京都江東区新大橋にある公立小学校です。
意外にも子供の頃は大人しい性格だったと言われています。
地元の友人からは「ムーちゃん」というあだ名で呼ばれていたそうです。
■■実家は祖父の代から続く畳屋で、両親と兄、弟の5人家族(3人兄弟の次男)でした。■■
近所に映画館があったことから、小学校時代からよく映画を観ており、特に菅原文太さん主演の『トラック野郎』に憧れ、自分の自転車を電飾で飾る「デコチャリ」に改造していたというエピソードもあります。
この頃から映画への興味や、目立ちたがり屋な一面があったのかもしれません。
学歴から見える寺島進の人物像とは?
早稲田大学中退という経歴や専門学校での学びは、寺島さんの俳優人生にどう影響したのでしょうか。
実務志向?職人気質?など専門分野からの性格考察
学歴からは、寺島さんのどのような性格が見えてくるでしょうか。
早稲田大学を中退し、三船芸術学院で殺陣やスタントといった実践的な技術を学んだ点からは、早くから現場で役立つスキルを身につけたいという実務志向がうかがえます。
学院で殺陣に魅了され、専門家である宇仁貫三氏に師事したことからも、一つの道を深く追求する職人気質な一面があるのかもしれません。
この経験が、後のアクションシーンなどでの説得力につながっているのでしょう。
長い下積み時代にスタントや様々なアルバイトを経験したことも、彼の演技に深みを与えていると言えるでしょう。
座右の銘の一つに「ヤクザ、チンピラ役は俺の原点」を挙げており、自身のキャリアの基礎を大切にする姿勢がうかがえます。
夢や芸能活動とのつながりを分析
学歴と俳優としての成功はどう結びついているのでしょうか。
大学中退後、すぐには俳優として成功せず、30代半ばまでアルバイトで生計を立てていた苦労人です。
それでも俳優の道を諦めなかった強い意志が感じられます。
北野武監督との出会いが大きな転機となり、北野作品への出演を通じて役者としての評価を高めていきました。
北野監督からは「今売れなくても死ぬ間際に天下取ったら、“あんちゃん”の勝ちだからよ」という言葉をもらったそうです。
座右の銘が「継続は力なり」であることからも、地道な努力を続けることの重要性を自身の経験から深く理解していることがうかがえます。
学歴よりも、現場での経験や人との出会い、そして諦めない心が、俳優・寺島進を形作ってきたと言えるでしょう。
まとめ
寺島進さんの学歴は、江東区立八名川小学校、江東区立深川第二中学校、そして偏差値47の都立葛飾野高校へと進みました。
高校卒業後、一度は早稲田大学第二文学部に入学するも、俳優の道を志して中退。
三船芸術学院で演技や殺陣を学び、長い下積み時代と様々な経験を経て、唯一無二の存在感を放つ俳優へと成長しました。
大学中退という決断と、専門学校での学び、そして諦めずに続けた努力が、現在の活躍に繋がっています。
若き日の苦労や経験が、現在の寺島さんの魅力を作り上げているのかもしれませんね。
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▼▼北野武監督作品での活躍も必見です。▼▼
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俳優プロフィール
- 氏名(日本語表記): 寺島 進
- 発音ガイド: てらじま すすむ
- 最終学歴: 三船芸術学院 卒業
- 出身高校: 東京都立葛飾野高等学校
- 芸能界入りのきっかけ: 高校卒業の頃、近所の人に勧められ、三船芸術学院のパンフレットを見て入学を決意。
- 俳優の紹介:
東京都江東区出身の俳優。実家は畳屋を営む。地元の小中学校を卒業後、東京都立葛飾野高等学校へ進学。高校卒業後は早稲田大学第二文学部に入学するも、俳優を志し中退。三船プロが設立した俳優養成所「三船芸術学院」に入学し、殺陣やスタント技術を習得した。
卒業後はスタントマンや斬られ役としてキャリアをスタートさせ、長い下積み時代を経験。この間、様々なアルバイトで生計を立て、時にはヒーローショーのスーツアクターも務めた。1989年の映画『その男、凶暴につき』への出演をきっかけに北野武監督に見出され、以降「北野組」の常連俳優として知名度を上げていく。
30代半ばでようやく俳優業だけで食べていけるようになり、その後は映画だけでなくテレビドラマにも活躍の場を広げる。『アンフェア』シリーズの山路哲夫役や、『駐在刑事』シリーズの主演・江波敦史役などで人気を博す。コワモテな見た目とは裏腹の人情味あふれるキャラクターや、確かな演技力で、名脇役として欠かせない存在となっている。2009年に一般女性と結婚し、二児の父親でもある。
















